長野県渋温泉の歴史

長野県渋温泉は、開湯伝説によれば、1300年前に行基が発見したされています。奥蓼科温泉郷には横谷、明治、渋川温泉と湯治場の雰囲気を残す一軒宿が続きますが、渋温泉の例外ではありません。戦国時代、甲斐の武将・武田信玄はこの湯の薬効に驚き、ここで傷兵を湯治させてといいます。渋温泉は「信玄の薬湯」の別名を持つようになりました。江戸時代には、佐久間象山、小林一茶、葛飾北斎などの文人がこの地を訪れました。修行時代の伊集院光(当時は三遊亭楽太郎の弟子で三遊亭楽大と名乗っていた)がしばしば師匠のお供で訪れたり、修行の一環として巡業を行っていました。しかし、落語よりも専ら似顔絵描きをやっていました。

江戸時代以降は湯の花を薬用として販売し好評を集めました。源泉は28℃の冷泉を加熱して使用しています。白樺林に囲まれた露天風呂、窓が広く取られた薬湯、北八ヶ岳を望む展望風呂の3つの風呂に注がれています。打たせ湯には源泉をそのまま利用していて、冷泉と温かい温泉を交互に入ることでさらに効果的と言われています。飲泉も可能で、便秘や胃腸病などに効能あるとされています。渋温泉の先には奥蓼科温泉郷の最奥、渋御殿湯と渋の湯があります。
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